老人と働く

超溌剌元気高齢化社会で働くアラサーの世迷言

超溌剌元気高齢者と働くアラサーの世迷言(5日目かな)

友人の話になりますが、怖い話です。


京都の文化は、日本の今の文化とはかなり異なります。


東京育ちのわたしは、例えば、幼稚園の時からずっと次のようにしつけ込まれて生きてきました。


陰口はいけないよ
悪口は悪いことだよ
言いたいことは直接本人に伝えなきゃダメよ


しかし、京都という都では上記の常識が非常識なのです。


京都では、陰口は文化です。
京都では、悪口は常識です。
京都では、言いたいことは遠回しに、間接的に、本音を見せずに、伝えるのです。


こんなことがあったのです。


京都の伝統工芸、京うちわの職人さんに弟子入りしている友人の話。


友人が昨日つくった京うちわ。そのうちわを、なぜか先輩が壊していたのです。


え!


なんで?


びびった友人は、しばらく大人しく様子をみていましたが、


どうやら大先輩の命令で行われたことのようなのです。


これって、東京だったら確実にパワハラだよな。モラハラだよな。イジメだよな。


だって、


大先輩:(新人アが作成した商品を先輩Bのところへ持って行き)「これ、作りなおして」
先輩B:(新人アに見えるところで、新人アが作った商品をバキバキ、ボリボリ、破壊)「どこをどう直したら良ござんしょうか?」


シーン シーン


新人ア:「申し訳ございません。私のせいで(チーン)」
先輩B: 「ちゃんとしてやぁ」
新人ア: 「すみませんでした(小声)」


大先輩: (常に新人アを無視。独り言の口癖は、「何やっても下手だ」 


(え、だれが?)


こっれって、いじめでしょ。しかし、これが京都の文化なのです。


以前テレビで歌舞伎役者さんが語っていました。弟子に恥をかかせて芸を仕込むのだと。
本番で、師匠が弟子に向かって、「そんな声の出し方じゃ、アタシが次のセリフをいえないだろ。ほれ、もういっかい。やりなおし」


そういうことをお客様の前で、本番の舞台の上で、がつんとやられりゃ、新人の心は折れるわけだが、そのくらいのショックを与えるのが京都流の教育なのだと。


そして陰口。


京都では、陰口という文化があったために、陰口を言われたくないから実力を何が何でもつけていく。賄賂やコネが効かない、実力の世界ができたのだと。


たしかに。


1500年以上も昔から都として栄えたこの土地で、賄賂の文化が発展しなかったことは素晴らしく、賄賂が通用しない社会の土台は「陰口の文化」だったのだと。


何をやっても、いいねぇ、と言われるラテンアメリカは、経済的に発展したメキシコシティですら未だに、賄賂の世界。京都とは正反対の明るいラテン系。陰口たたかれたくなきゃ、袖の下かな。
中国の歴史、インドの歴史、そして彼らの現在。世界の過去と今。ほとんどの社会で賄賂が活用されていた。


金より実力。賄賂より実力。だって、陰口こわいもーん!これが京都流なのだとか。(ほんと?ほぼほぼ、本当)


ちなみに本日の登場人物の新人アは東京育ちのアラサー、先輩たちは生粋の京都人で60代。実年齢は30年しか離れていなくても、生きてきた文化の差異は1000年以上。


京都流に、パワハラ/モラハラという発想はないのでした。京都で働くということは、労働法が適用されないということなのかもしれません。(契約書もないんだってさ。年間休日21日だってさ。それでも、高齢者は元気はつらつ頑張って、今日も、京うちわをつくっています)